ひだまりの散歩道

広汎性発達障害のさんぽ(6歳)とひだまり(2歳)のママがつづる日記です。

さんぽの生い立ち~生まれる前~

さんぽが 私のおなかにやってくる前 私は教員をしていました。
私にとって 教員は 天職だと思っていました。
毎日が、楽しくて仕方なかった・・・。

担任する子どもの 一人ひとりが 好きで好きで、
夏休みも 冬休みも いらないと 毎回思いました。
そんな自分 学校での子どもと 接してる限り
家族としての 子どもがほしいとは 特に強く思いませんでした。
避妊していたわけでもないけど
夢中で 仕事をしているうちに いつの間にか
結婚して7年。
              あっという間でした。

でも 教員11年目にして 中学へ異動。
そろそろ 年齢的に子どもをつくるなら 真剣に考えなくては という気持ちもあって
「来年度は、1年生と6年生の担任ははずしてください」
とお願いした矢先の  異動でした。
なんと 異動が決まった時点で すでにお腹に赤ちゃんがいました。
私は 異動のことで 頭がいっぱいで 気がつきませんでした。
   結果・・・流産・・・・。
移動先の中学は 合唱祭に力を入れている学校で 音楽教師は多忙でした。
 幹部の方に 流産の話をしたとき ほっとしているのが 見てわかりました。  

その時初めて思ったのです。

「私 何やってるんだろう。
  自分のやりたいことばかりしてきて
    そんなにのめりこんでいた仕事も、幹部には ただの駒。
こんな歳になって、家族のことも省みないまま 流産して・・・。」
さらに追い討ちをかけるように
そこの中学の音楽教師は 毎日が忍耐の連続。
ストレスはみるみるうちにたまっていきました。

「このまま中学の音楽教師を続けていると、
    毎日が楽しくないのに 歳をとって子どもも産めなくなる
      それで 私は 後で後悔しないのか?」
教師をして11年
やめる決心したのが11月の合唱祭が終わった日。

そして、11月末には、さんぽがおなかに宿ったのでした。
教師をやって11年目。
      本当に自分の子どもがほしい、と思った、だから・・・。
       打ち込んできた仕事もやめようと決心した、だから・・・

         さんぽは、私のところにきた。
                   
今はそう思います

私の性格上、仕事と育児と 2つこなすのは無理でした。
神様は、私をよく知ってたようです。

やめようと決めたら、肩の力がすう~っとぬけて
そこからやっと、中学での教師の仕事が 何だか不思議と 楽しくなりました。

教師生活最後の授業が終わった時、そのクラスの生徒が全員で
      「先生、今まで楽しい授業をありがとうございました!」  なんて(:>_<:)
生徒には、やめることは 勿論話していなかったので、ただの偶然。
でも 私にとって 忘れのできない素敵な思い出に なりました。
 涙のひとつぐらい 出るかと思ったのですが、
なぜか とてもさわやかで
    晴れ晴れとした気持ちでした。

それは、きっと、私の中に 命が芽生えていたから。
何か、はっきりとはわからないけれど、
     素敵な未来が待っているように感じていたから。
仕事・・・そこに11年間の全ての時間を費やしてきた
       「やめる」ということは 私にとって 費やしてきた時間が過去になるということ。
仕事をやめる
   そんな 大きなことを 意図も簡単に 明るいものに塗り替えてくれた
          まだ芽生えたばかりの小さな鼓動。



さんぽは、生まれる前から、親孝行なやつでした。

さんぽの生い立ち~診断前(1歳6ヶ月)~

につづく

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大学病院の帰り道で

今日は、さんぽの診察の日でした。

さんぽは、今の女性医師に診てもらう前に、町の臨床心理士さんにすすめられて
大学病院で 脳波検査をしたことがあります。
(女性医師さんは、さんぽタイプは脳波検査なんて やっても得るものがないといってました)
そのまま 定期的にその病院に通って 早4年ほどです。

通っても、特に何の助言も情報もありません。
そういう面では、私にとって、あまり通う意味は感じられないのですが・・・・。

何と言っても その病院は、駐車場から 大好きなJRの駅が間近に見えて
診療室には、家にはない ミニカーがある
先生は さんぽ君すごいね といつもほめてくれる
さんぽにとって、結構好きな場所になったので 何となく通い続けました。

初めてここに足を運んだのは 脳波検査 1歳半
まだ 新しいこと何もかもが怖くてパニックになるさんぽに 説明し ご褒美アイテムをそろえ
夫婦で覚悟を決めて 上った階段。
緊張でしがみつくさんぽの頭に たくさんの管がとりつけられていく
研究室のような小さな狭い部屋 
私たちの心配もよそに あっさりと深い眠りに入ったさんぽに 思わず力が抜けて笑った。
小さいながら 私たちの気持ちをわかったかのように
パニックをおこすことなく 順調に検査をうけるさんぽは 愛おしかった。
  
2回目のときは 名前をよばれたとたん大泣き 
われんばかりの声で ただ泣き続けるさんぽを 穏やかに見守っていた先生は
そっと さんぽの前で タンクローリーと新幹線をかきだした。
思わず 涙も残したまま 見入るさんぽ。
この瞬間、先生は さんぽの気持ちをつかんだのかなと思った。
それからは いつもその絵を持って その病院へ。
さんぽは「絵の上手な先生の病院ならいってもいい」というようになった。

診察が終わった後は ご褒美アイテムのアイスクリーム
駐車場で JRが行き来するのを 飽きるほど見ながら 夏も冬も アイスクリームを食べたね。

そのうち 一区間の切符を買って 駅からのったり降りたりするのが ご褒美に。
乗った電車が見えなくなるまで バイバイをするさんぽに
どれだけ たくさんの車掌さんが ほほえんでくれただろう。
楽しいけれど すごい刺激で 帰り道の車の中は いつも寝息が聞こえてきたっけ。 

さんぽが大きくなってきたら 今度はJRにのったら ちょっと遠出するように。
地下鉄に乗り換え デパートの屋上で のりものざんまいのコースと
トミカショップから 新幹線のジオラマのあるお店をめぐるコース
楽しいことも多いけれど その分 
活動のきりかえに苦労して 見知らぬ友達とのやりとりに間に入って 人ごみの刺激になだめて
穏やかに過ごせるわけなんてなかった。
少々のトラブルと さんぽの小パニックは 覚悟の上。
最後は、だいたいJRの中で寝ちゃって 車まで抱っこしてたどりつくのが大変だった。

自然な疲れに誘われ くたくたで寝ているさんぽの顔をみながら
やっとたどりついて ほっとする 大学病院の駐車場

そこにそびえる 大きな木々に
幼い頃のさんぽと 私との甘くうて密接した時代を 見守ってもらっていたような 
そんな ふるさとのような 想いさえあるのです。

診察も15回目
半年に一回になったこの場所に さんぽですら 行く道の風景も覚え、
懐かしい場所にでもいくような気持ちのようです。
  

でも今日、先生から一言

「ここを退職することになりました。」と告げられました。



先生が退職するなら もうここへくることはないか・・・。



帰り道 その事実を 少しずつ飲み込みながら
突如訪れた優しい場所のお別れに 胸がきゅう~んとなりました。

初めてきたときの 足の震えた階段
帰りにいつもよった アイスクリームの売店
そして 大好きだった JR駅の見える駐車場・・・ 

どこを歩いていても 固く手をつないだ 幼いさんぽが ちらちらと 見えるようで
過去の時間の流れが 私の心を 何度も何度も なぜてきました。 

最後のアイスクリームを 食べるさんぽに
「今日で ここ 最後なんだ。先生がいなくなるから。」と話しました。
さんぽは「そうなのお~。ここ 楽しかったのにね。また ずっときたいのに。」
なんて言いました。

その後、いつものように でも この駅から始まる最後の旅を さんぽに選ばせて 
JRのお決まりコースを とことん楽しみました。

そこには 活動をやめさせるのに 苦労することもなく
お店で お友達とトラブルをおこすこともなく
帰り JRで眠ってしまうこともなく 
4年分 心も体も 成長したさんぽが いました。

旅の間中 さんぽの 障害の疑いを告げられてからの ここでの4年間の軌跡が
私の中で くるくると廻りました。

そこには 幼いさんぽのありのままの姿に
苦しかったことだって 途方にくれたことだって あるはずなんだけれど

なぜか 
思い出すのは
さんぽがはしゃぐ姿 喜ぶ姿ばかり・・・。
   
この4年間 幸せだったな・・・と。

そう思いました。

帰りの車についてから
「寝てもいい?」ときいて ひだまりと寄り添って寝るさんぽ
流れていく 見慣れた風景にも 寂しさを感じる私

さんぽ
大きくなったね・・・・。 

        

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