ひだまりの散歩道

広汎性発達障害のさんぽ(6歳)とひだまり(2歳)のママがつづる日記です。

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理解をこえて、支援にたどりつく・・理解の意味はそこから

さんぽの懇談会がありました。
今回の担任先生は、見るからに、さんぽにとって不安要素の少ない感じです。
穏やかな表情、落ち着いた声のトーン。感情の激しい起伏を感じさせない。
さんぽにとって、不安の感じない先生が、作り出す優しい教室の中で
不適切な行動や不安行動はおこることはなく、驚くほど順調に日は流れていっています。

実際、今回の懇談は、この私ですら
「特にこれといって話すことはないかも」みたいな状況で(順調すぎ?)。

でも、せっかくなので懇談会であのことについて話そうと思っていました。
それは、先日、さんぽが大喜びで帰ってきたエピソード。

さんぽが、保育園から帰ってくるなり、「今日イスとりゲームしたんだよ。」と言ったときのお話です。

さんぽは、あの手の集団での勝負ゲームは、楽しさより、失敗する怖さや不安が先立ってしまってダメ。
年少のときは、ワンワン泣きながら、強迫的にやったときいてるし、
年中のときは、泣かないでやったものの不安行動が続出、家で「あういうみんなでやるゲームはオレは嫌いだ。何も楽しくない」と言って怒っていました。

では、年長になっての様子は?
今回は意外にもこんなことをいうのです。
「前とね。ルールが違ったんだ。誰も負けないんだよ。オレ、すごく楽しかった。」

きけば、1回目は、よくあるイスとりゲームのルールをしたのだけれど、
2回目は、イスに座る人のひざにも座っていいというルールだったらしいのです。

「ひざの上にちゃんと座ればいいんだ。みんな勝ちなんだ。だから、すごく楽しいんだよ。」
素敵ないいものを見つけたかのように、鼻を膨らませて興奮気味で話すさんぽ。

きっと、はじめて、集団で行うゲームを楽しいと感じたんだろうな。

集団ゲームは、多くの子が楽しむ活動です。
教師や保育士側にとっては、簡単にこどもたちが盛り上がるので、手軽に使いやすいアイテムです。
でも、さんぽみたいなタイプのこどもにとって、本来の楽しさを味わえないどころか、
そのゲームの時間が過緊張を強いられ続ける、恐怖の時間になることは、わかってもらえにくい。

その時、「みんなが楽しんでいるのに、楽しめないなんて面倒なこどもだな」ととらえられず、
「このやり方だと楽しめられないこどももいるんだな。どうしてかな」と考えてもらえた時に
「理解」が生まれる。

そして、「このやり方なら楽しめるかな」と先生にとって当たり前だったルールに、少し手だてを加えてみてもらえた時に、
そこから「支援」が生まれる。

担任の先生が行った、「誰もが負けないようにするルール」
それこそが、まさしく支援。
ごく自然に、そういった対応ができる先生だからこそ、
今年度、さんぽが落ち着いて生活できるんだなと 改めて思うのです。

逆に
何となく・・・昨年度の先生と最後までしっくりいかなかった理由が分かった気がしました。
ベテランで、細かいところによく気がつき、指導内容もしっかりした考えの持ち主の昨年の先生。
けっして、さんぽを邪険にしたとは思っていない。
先生なりに、発達障害の特性や対応を勉強され、むしろ、さんぽの行動をよく見てくれたと思う。

でも、昨年の個人懇談で、こんなことを言われたのを思い出すのです。
「5月から、帰りの前に、私の思うこと(生き物を大切になど道徳的な)お話をする時間を設定したんです。でも、話をすると、さんぽ君は手のひらをひらひらさせて首をかしげている。発達障害のお子さんは、想像力がないそうですので、さんぽ君もおそらく私の話が想像できず、わからないんだなと思いました。ただ、私としてもみんなに話したい内容なのでその時間は続けます。その時間はさんぽ君に我慢させることを了承ください。」


これをきいた時、私の中で「あれ?なんか違う」的な、違和感が残ったのを今でも忘れない。
どこか、差別されたような・・・悔しさが残った。

手のひらをひらひら・・・まさしくさんぽの混乱状態を物語っている。
先生は、そこに気づき、こういう話は理解しにくいんだなと気づいてくれている。
そこで、「変なことしないのよ」と叱ったり、「話をきいていないな」とイラついたりせず
その原因に、さんぽの特性があると、考えてくれている。

そこに確かに、「理解」が生まれていたのだ。

でも、「さんぽは特性から想像できない。でも普通のほかのみんなは想像できること。
だから、ほかのみんなに合わせた指導をして当然、さんぽ君は我慢してもらうしかない」
その考え方に、私はひっかかっていたのだ。
そう考えてみると、膳担任の先生は、理解をしてくれたけれども、1年を通し、最後まで、そういう指導だったように思う。

「理解」が「支援」へつながってはいなかったのだ。

先生は、理解しようとしてくれている、私のお願いしたことは気をつけてくれている、そう十分に感じながらも、
昨年度の間中、どこか、理解されればされるほど、仲間はずれになっていくようなそういう思いが常にあった・・・その理由。
それは、
理解が支援につながっていない、そこにあったんだと。


「理解」という段階をこえて、「支援」にたどりつく、

そこには、大きな壁があるのかもしれない。

特に、古い体制を守り続けているベテランの先生や、
学校の幹部にいるような古株の先生たちほど、その壁は余計に大きいように感じる。
逆に、今回の担任の先生のように、若さゆえ、理解をもとびこえて、先に支援にまわれる・・・案外そういうこともあるかもしれないなと思う。

それでも、私たちが始めるのは、最初は「理解」してもらうことからだ。
そう、多くの教育界の先生たちに理解してもらい、今までの誤解をといてもらい「発達障害のこどもの特性」を認めてもらうことがやっぱり必要だ。

でも、
理解が理解だけで終わっては、何も救われない。
特性だけが一人歩きし、色眼鏡で見られただけでは、差別と変わらない。

そこに「支援」があって、初めて、理解が意味があるものになる。

本当に大切なのは、「どう支援するか」。
そこなんだよな。

そんなことを思いました。


ちなみに
個人懇談の前に、さんぽに、「先生に伝えたいことはない」か、ききました。
「先生はね。まだ怒ったことがないんだよ。だから、オレ、先生の怒った顔がどんな顔か気になるんだ。」
さんぽとしては、先生の「怒った顔パターン」が自分にまだインプットされていないのが、心配なようです。
でも、一番教室が落ち着かないこの時期に、まだ怒った顔を見せたことのない先生ならば、
今後も、形相を変えて怒ることはないかもよ、さんぽ。

そして、こんなこともいいます。
「オレ、優しいから、先生のこと大好きなんだ。そう伝えておいて。」

その通り伝えたら、先生は、ちょっと顔を赤らめて照れてました。
やっぱ若いなっ、先生、うふふ。

テーマ:発達障害(自閉症、アスペルガー、LD、ADHD、発達遅滞) - ジャンル:育児

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