ひだまりの散歩道

広汎性発達障害のさんぽ(6歳)とひだまり(2歳)のママがつづる日記です。

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「死」を想う

更新、ちょっとがんばってるかしら・・・私。

まあ、ゴールデンウィークが思いがけずフリーになったということもありますが
もう一つ、ちょっとディープな理由があります。


胸のしこり・・・・また再検査。
あれから3ヶ月、連休前の定期検診で、「ちょっと気になるので」と医師から。
あの時は、99%良性です、と言われたのに、なぜ?

再検査は来週ですが、受付の人に、
「なるべく早い時期に、時間外に検査に来てください。
 そして、その日は、医師が話がしたいということなので、十分時間にゆとりを持ってきてください。」
なんて、言われちゃった。
ちょっとやばいのかな。

再検査の結果によっては、ブログに向かう気がなくなるかもしれないと思って
ちょっとあわてて記事を書き込んでいるんです。

そんな・・・大丈夫だよ・・・一度99%良性と言われたんだからさ・・・と思いつつ
もし、がんだとしても、切り取ってしまえばなんとかなるよ・・・と思いつつ

また、再び、「死」というものの影が目の前をチラつく。
考えすぎとわかっていても、がんとなれば、それも、仕方のないこと・・・ですよね。

なぜ、こんなに、考える?
自分の身体に不安で、落ちつかなくなる?
私は「自分の死」を恐れている・・・・?

どうなんだろう、そうとは思えない。

「死ぬかもしれない」ととっさに思った経験は、何度もある。

雪山登山
死におびやかされる時は、毎回の登山に必ずあった。
踏みしめる一歩一歩に、
「一つ足を置く位置を間違えば、死が待っている」という感触が次々とこみあげる。
息ができないほどの猛烈な吹雪、
目の前が見えなくなりどこにいるのかわからなくなるホワイトアウト
目がくらむ絶壁に、かじかんで凍った指が滑り、あせりでパニックになる。
打ち込んでも打ち込んでも、うまく岩に引っかからないアイゼン、
自分自身から沸きあがる恐怖が、自分自身を精神的に追い込んでいく。
「わあーーーーっ」と叫びたい衝動にかられ、
「こんな恐怖が続くなら、いっそ岩から何もかも離し、崖に飛び込んでしまった方が楽だ。」と思う。

死をも超えた現実の怖さの連続に、負けそうになる自分。
「ばか、離すな。」
生きようとする自分。
雪山登山は、その闘いを味わう場所だった。

雪山にのぞむときは、覚悟を持っていて、出かける前は、何か張りつめた想いで、部屋をすっきりと片付けたものだ。

海外の山では雷の落ちる瞬間にも出くわした。
すごい勢いで近づく雷鳴。放出される電気に、持っているピッケルがしびれ鳴った。
あわてて下山を開始するものの、稜線はあわてふためく登山客で渋滞し、前に進むことができない。
隠れるところのない雪の山。轟く雷鳴に身も心も震え上がる。
もうダメだ。雷が真上に来る。落ちる。死ぬんだ。
「ピッケルを離せ。身を岩に伏せろ!」
だんなの声で、我に返って身を伏せる。恐怖で目を閉じ、雷が通過していく様をがくがくとしながら過ごした。
あとで聞けば、
私は「怖くないーーーっ」ってずっと叫んでいたらしい。

同じように山で生きた先輩との別れもあった。
雪崩に巻き込まれ、冬を越し夏に花畑の中から遺体で出てきた彼女が、決して他人事ではなかった。

その非日常の、死と向き合いがあるからこそ、頂上は美しかった。
山を生きる私にとって、死は、決して、遠いものではなかった。


私は、ずっと平凡な幸せを、歩んできた。
病気知らずで、大きな病気一つせずに、すごしてきて
裕福でも貧乏でもない、ごく普通の家庭で、
世間並みにそれなりにいろいろな問題は直面しつつも、それなりにのりこえてきた。

ごく普通に、よい出会いに恵まれ、ごく当たり前の年齢で結婚し、
仕事でも、プライベートでも、自分を認めてもらえる場所を持って、好きなだけ没頭したし
子どものいない時代に、いくつか海外も体験した。
子どもを高齢で産んで、生活は一変したけれど、子育ての醍醐味も知ることができた。

私自身の人生、そんなに悪くない。
自分の歩んできた道を好きだと思う。
自分の人生に、後悔はない。

そう、「死」は怖くない。


でも
さんぽやひだまりを想うと・・・・。

胸がしめつけられる。

私はいなくちゃいけないんだ。
この子達のために、この子達を守るために、この子達の笑顔をみるために。

愛するということ
それは、わが身の存在の責任を負うことでもあるんだなと思う。


さんぽやひだまりの寝顔を見ながら
私は、「生きたい、生きなきゃいけない。」という気持ちを抱きしめる。


ただの再検査。 
考えすぎ
そう、考えすぎ。

テーマ:生きること - ジャンル:心と身体

コメント

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  • 2010/05/07(金) 00:19:19 |
  • |
  • #
  • [ 編集]

かぎコメントの方へ

ありがとうございます。
「死」と向き合うことが日常の仕事であっても・・・
・・・いえ、あるからこそ
自分の「死」というものに正面から向き合うのには、
不安と葛藤がともなうものかもしれない・・・。
そう思うと、「死」が非日常である自分の不安の大きさは、「死」を身近に知っている方々よりもたいしたことではないかもな・・・と
そんな気になり、少し楽になりました。

人として強くないと、「死」への不安に飲まれてしまう。
でも、こういう経験を重ねていくうちに、強くなっていくのかもしれない。

今週金曜日に、細胞の再検査です。
医師からどんな話をされるのか、本当は怖くて仕方がない。
だけど、飲まれないぞ、強くなるぞ。

  • 2010/05/11(火) 03:19:06 |
  • URL |
  • skymama #PBOAC/RY
  • [ 編集]

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